僕らのビッグ・バッド・ビンゴ~フリッパーズ・ギター小論

 
 フリッパーズ・ギター。

 わたしたちがリアルタイムで経験した80年代ネオアコを取り込んだ瀟洒なサウンドもさることながら、いま彼らの作品に接すると、青臭い衝動、若さゆえのアナーキズムを少しスノッブなレトリックで包み込んだ歌詞も感慨深いものがある。
 彼らがその前身バンド、ロリポップ・ソニックを経てデビューした時代はわたしたちも無謀で非力な二十代の真っ只中であった。そのころには彼らと同様破壊と再構築の当事者もしくは共犯者であったわたしたちが十年余の年月を経て彼らの曲を聴くとき、また違った感慨がある。たとえばこんな一節、

 さあだから早く、気がつけばすぐに夏は終わる 過ぎてゆく

 赤と青のシャツ着てはしゃいでる僕らには 何を言ったって無駄さ


                         (サマービューティー1990)

 当時は字面どおりに、夏休みの高揚と下心のテーマと思ってクルマで流し、エアコンもないボロ車に女の子を乗せて浮かれていたが、今聴くと彼らの歌詞のもつ記号性に気づき、ハッとさせられるのである。

 夏とは単なる季節でなく、無謀でイノセントでセンチメンタルな、人が青春と呼ぶうつろいやすい時間のことではなかったか。そしてこの曲のみならず彼らの歌ったその季節は、あらかじめ蹉跌と幻滅を前提としてうたわれていたのではなかったか。
 「ビッグ・バッド・ビンゴ」の収められた「カメラ・トーク」のあと、小山田、小沢の両氏は自らのエネルギーとエントロピーを制御しきれなくなり、その後問題作「ヘッド博士の世界塔」を発表後自己崩壊する。ソロ活動で両者とも成功を収めたのは誰もが知るところだが(今年フランスのテレビでMTV見てたらいきなり小山田の曲のクリップがかかって驚いた)、青春の蹉跌と焼跡を乗り越えた彼らはいま、当時の曲を聞いて何を思うのだろうか。


 好きなだけ恋の夢を見て 勝手にキスして泣いて

 ほら ぼくらのビッグ・バッド・ビンゴさ

                            (Big bad bingo)

 わたしはそして、いまもあの季節の亡霊(またの名をビッグ・バッド・ビンゴ)につき動かされているのかもしれない

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