うたかたの泡の日々

ボリス・ヴィアン「うたかたの日々」(伊東守男訳)が文庫化されていた(ハヤカワ)。
 これまでも角川から「日々の泡」のタイトルで別訳が出ていたが、訳文の面白さ、センスが格段に違う(そもそも原題Ecume des joursは直訳すると「日々の泡」なんだが、修飾関係をヘーキで逆にするところからしてすでに伊藤訳のセンスが抜きん出てる)。これで旅に持っていって吟味できるぞ「うたかたの日々」。 
 
 まあとにかくフツーの恋愛小説だと思って読み始めるとあまりにシュールでダダでアチャラカダンスな世界に腰を抜かすだろうが、そんなことはこの作品の本質ではない。
 これは恋、夢、すべてのうつくしいものが無神経で傲慢な世界によって蹂躙される、しかしその没落さえ美しいありさまを描いた大人のための童話である。
 砕け散る硝子細工は破片さえ美しい。 

 前半はコランとクロエを祝福するかのように狂乱しはじける世界が、後半は友人のアリーズやシックをも巻き込み、すべての恋や夢を粉砕する邪悪な機械のように無慈悲に回り続ける。ヴィアンはそれをあくまでおちゃらけながら淡々と語る。 

 翻って思うに、コランやシックのようないいとこの坊ちゃん嬢ちゃんがブラジルで「愛と微笑みと花」を歌ったのがボサノヴァではなかったか。うつくしいものだけを見て生きようとした思想、「この世で大事なものはきれいな女の子との恋愛とデューク・エリントンの音楽だけだ。その他のものは消えちまえばいい。だって醜いんだもの」と嘯く意思。そしてその破滅的な敗北。
 この物語にあるカタストロフィーはボサノヴァの儚げな美しさに通じる。 
 
 ちなみにこの日記のタイトルに小さい字で書いてある仏文(注)は、この小説のまえがきである。キッチュでドリーミーなこの作品(のこの訳)が、文庫化を機に多くの夢想者に読まれることを願う。  

(注) 当時の日記のタイトルは「泡みたいな日々」、タイトルには “.....Il y a seulement deux choses, c'est l'amour, de toute les facons, avec des jolies filles, et la musique de Nouvelle-Orleans ou de Duke Ellington. Le reste devrait disparaitre, car le reste est laid.....” (大事なものなんて2つしかない。きれいな女の子との恋と、ニューオリンズもしくはデューク・エリントンの音楽。その他はみんな消えちまえばいい。だって醜いんだもの」という序文をパクって載せてました 

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