Marju Kuut & Uno Loop

 Uno Loop (1930-) はソ連時代の60年代から活躍しエストニア製シナトラと形容される、世代を超えた国民的歌手。
 以前タリンのCD店で旧録アンソロジー+2000年新録セルフカヴァーの2枚組を見つけて買ってきました。まあ昔の曲の多くはいかんともしがたい人民歌謡ポップスだったのですが、その中にあって「Desafinado」や「Corcovado」のエストニア語カヴァーが光っておりおおっと瞠目したものです。解説を読むとUno は国民的スターとしてあまたのポピュラーソングを歌う一方で「エストニア人にアントニオ・カルロス・ジョビンの創造物をもたらした男」としてかの国の音楽の歴史に名を刻んでいるのでした。
 それでは彼のボサ(調)の曲を3曲、一曲目はジョビン&シナトラで歌われていた「Change partners」のエス語カヴァー。やっぱりシナトラになりたかったのかなこの人。2曲は自作曲。3曲目はよく耳にするポップスですが何でしたか。



 そして最近Youtubeで見つけたのがこのアルバム。一枚通してきちんとボサノヴァに取り組んだ、1971年当時の共産圏としては思い切った、おそらくは唯一無二の企画。女性シンガーとの連名になってますがデュエットではなく半分ずつ手分けして歌ってます。
 むかしのボサノヴァアルバムというとアメリカ製ですら安易なラウンジ風に堕してしまったものも少なくないのに全体的にやけに本気です。バックのレニングラード放送管弦楽団、バンドとサックス奏者、そして多くのソロパートを担当するクラリネット奏者も加わって、ジョビン絡みの一連の作品や「ゲッツ・ジルベルト」の持つあの感じに肉迫していることに驚かされます。(Marju Kuut はさしずめアストラッドジルベルト役でしょうか)。選曲も「So danco samba」に始まって「Desafinado」「O grande amor」「Pra machucar meu coracao」「Vivo sonhando」「Doralice」などと明らかに本家を意識したものになっています。
 1971年のエストニア人民共和国、しょうもない人民ポップスが多くを占める音楽界に突然、やたら本物かつエストニア語で歌われるボサノヴァがいきなり降臨してきたという特異な状況だったのでしょうか。
 ひょっとしたらいま60代以上のエストニア人の前でこれらの曲を演奏すると「あ、これ知ってる、懐かしいなあ」と言ってエス語で歌ってくれるのではないかと期待したりもして。

Comments